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飯島 裕之
マーチャントクラブ広報委員 / 取材担当の飯島裕之(KunKun)です。この記事では、マーチャントクラブに所属する経営者へのインタビューを通じて、その人の魅力に迫りながら学びをお伝えします。

今回取材するのは、クラブNO.5・早川渉(HAYA)さんです。

コンサルティング会社・投資ファンド会社と、年収数千万円を稼ぐことが当たり前の人が多く在籍する環境に身を置き続けて彼が受けた影響はどんなものだったか?そしてそこから得た確信とは。

国内だけにとどまらず海外でも事業展開する本当の理由について等、赤裸々に語って頂いたインタビュー内容から、早川渉さんの魅力をお届けします。

前編をご覧になっていない場合は、こちらか前編取材記事へどうぞ!

年収がどんどん上がっていくような人達って外から見たら異様だけど意外と大したことない

飯島 HAYAさんは六本木の外資系投資ファンドに引き抜かれて働いていた当時、社内に外国人や年収数千万クラスの方がいる環境で働いていたことから「感覚や基準が一気に上がった」とおっしゃっていたのが印象的なのですが、当時の状況を思い返しても環境がもたらす影響ってやはり大きいものでしたか?

HAYA そうですね。僕は元々学歴とかも特になくて。起業したいとかも特に思ってたわけでもないんですね。その外資系投資の会社の前は、コンサルティング会社で働いてたんですけど、外資系で働いていた4年のうちの最初の2年はコンサルティングで行ってたんですよ。

そんな中、コンサル会社の方針として「どんどん独立していけよ」っていうのがあったんですね。「マネジメント層がお客さんになっていくわけだから、マネジメント層のモノの見方とか考え方を今のうちから身に着けておきましょう」っていうのがあったんです。

元々僕はそこで起業する気はなかったんですけど(笑)そういう人たちに囲まれた環境で、話を聞いているうちに”僕もやった方がいいのかな?”って思うようになったんです。

飯島 それはコンサルティング会社に務めている時の話ですよね?外資系の会社にコンサルタントとして通っている中で、そういう考えが芽生えたってことですか!

HAYA そうですね!ちょうど投資自体がバブル期だったこともあって、ある程度のクラスになると年収がどんどん上がっていくような人たちばっかりだったので、外から見たら異様な世界だと思うんですよ。けど、中に実際入ってみると、意外とみんなそんな大したことないな、と(笑)

基本的に外国の方がほとんどなので、もちろん英語はすごいんですけど…逆に言えば自分も同じくらい英語が出来れば、自分の方がすごいかな、と(笑)

飯島 実際に職場が同じになって、その環境で一緒に働く中でそう感じたってことですもんね。

HAYA そうですそうです!入るときに英語面接とかもあるし、社内の公用語が英語なので、そこで僕も英語が身についたって感じです。

入る前は、どちらかというと英語苦手な方だったんで得意になるキッカケになりましたね。だからやっぱり環境が人にもたらす影響って凄いものがありますよね。

あと、そこで思ったのが、”みんな優秀”って思ってたのって、その人個人がすごいっていうよりも、”その業界が伸びていたから”なんですよ。

飯島 なるほど!!それって当時から思っていましたか?それとも「今になって俯瞰して見るとそうだったな」っていうことですか?

HAYA 当時からも少し思ってはいましたね。

飯島 じゃあ、どの業界に足を踏み入れるか?ってすごく大事ですね。今の話でいうと、その人個人の能力ってさほど関係ないというか大差ないっていうことですかね?

HAYA そうなんですよね。そこまで大差ないと思います(笑)側から見ると、年収何千万円の人っていうと大天才に感じると思うんですけど、実際は大した事ないというか(笑)ある程度優秀ではあるけど、普通の範疇を抜けないくらいの優秀な人。

飯島 そうなんですね(笑)

もし独立してダメでも、今まで培ってきたものを切り崩していけば食っていけるな!と。

飯島 その後、HAYAさんは日経上場投資ファンドの会社員から、さらに転職したんですよね。そこから海外での生活を経て、法人専門のビジネスコンサルタントとして起業されていて。この辺りが起業の分岐点だったと思うんですけど「自分1人でやっていこう!」と行動を起こしたきっかけは何かあったんですか?

HAYA 最初の外資で働いていた時に「僕は英語が出来れば、周りに能力的には負けていないしもっと出来るはずだ!」っていうことを強く感じました。英語を使う環境にいることである程度は話せるようにはなったんですけど、やっぱりアメリカ人程には出来るようにはなれなくて。「だったら日経に行けばいいや!」って思ったんですね。

実際には引き抜かれて日経上場投資ファンドの会社に入ったんですけど、向こうが僕を引き抜いた理由として「こいつは日本語のみで取り組ませたら凄そうだな」というのがあったみたいです。僕自身も「英語を使わずに日本語だけで勝負した場合、自分はこの業界でどのくらいの評価なのか」っていうのを確かめたかったというのもありますね。

飯島 へぇ!すごい意識ですね!?だってその当時25歳とかですよね!?

HAYA まぁ、必死だったんで(笑)ある程度評価されて昇級とかがあったので、一旦ここで自分としては安心したんです。

あともう一つ自信を持った出来事があって。というのも、コンサルティング会社に勤めていた時代に地方出張で四国に行ってたんですけど、その時に思ったのが「とてもノロい」という事ですね(笑)みんなの頭の回転とかが…ちょっと四国の人には悪いんですけど、仕事に対するスタンスとかが、すごくノロいと感じて。

逆に言えば「僕の今の実力があればこの地方レベルだったら、一生トップの方で食っていけるな!」と思ったんです。

会社員である程度の評価も得たから、独立してダメだったら戻れるっていう保険もあったし、なんだったら地方では食っていける!地方なら努力しなくても今まで培ってきたものを切り崩していけば食っていけるな!と思った。というのがありますね。

飯島 その時点で、ある程度の答えが自分の中で出たんですね?

HAYA そうですね。リスクヘッジというか。ある程度自分の中で見えてきたので「だったら一回独立してどうなるかやってみよう!」という風になりましたね。

なので「意を決して独立した!」というよりは「ダメだったら戻ればいいや」くらいのテンションでしたね。

飯島 それってある種、実験的な要素があるじゃないですか?「自分の身1人で通用するんだろうか?どのくらいいけるんだろうか?」とか。それって元々考えてました?

HAYA そうですね。元々僕の家が貧乏だったので、収入に執着したらどのくらい伸ばせるんだろう?っていうのは一回試したいなと思ってましたね。

飯島 もうその腹積もりで、会社に入っているってことですね。

HAYA はい。普通に大卒で入社して、とりあえず目の前の仕事、終業後の楽しみをこなしながら、どこまで伸ばせるかっていうのはずっと考えてはいましたね。

飯島 なるほど!ありがとうございます。

事業の展開先をセブにした理由は『いずれの避難先』として考えていたからなんです

飯島 現在はセブで事業展開もされているわけですが「なぜ事業の展開先が海外なのか?」というところと、それに関してのビジョンや構想等があれば、お聞かせください。

HAYA 元々はそんなにセブってところを狙っていたわけではなくて。今はある程度インフラもあるし、英語もどこでも通じるし、物価も安いということもあって、『いずれの避難先』として考えていたんです。

例えば、日本で1,000万円あります、これを2,000万円に増やす!ってなったらある程度の努力が必要なんですけど…でもこの1,000万円をセブに持っていったら自動的に2,000万円分の物が買えるわけですよ。これが1番楽かなと思って。

飯島 それはたしかにですね(笑)

HAYA なので、要は日本は”お金を稼ぐ先”として割り切っておいて、”お金を使う先”はコスパが良いところにしたほうが良いなー!と思っていたんです。

その中で色々都合が良かったのがセブだったんですね。

飯島 へぇ!条件が良いってことですか?

HAYA 条件はめちゃくちゃ良い!僕も全世界見たわけじゃないんでアレなんですけど。ある程度の安いお金で暮らせて、ご飯も割と日本人が困らない程度のレベルで。それでいて日本からの距離もさほど遠くない。そう考えたら僕は事業を展開する先がセブになったっていう感じですね。

飯島 なるほど!そうだったんですね。

マーチャントクラブの人達みんなを海外に連れ出したいっていうのはありますね!

飯島 これからどうしていきたいっていうのはあるんですか?

HAYA 基本的には…なるべくマーチャントクラブの人たちは海外に来てほしい(笑)

飯島 それはHAYAさん的にもメリットがあると?

HAYA いや、単純にみんなで行った方が楽しいっていうのがあるので(笑)

その中で、僕がセブに行って培ってきたもので何か役に立てるものがあると思うので。

物件紹介だったり、海外で活躍している日本人を紹介したりだとか。色々自分にも利益のあることがあったりもするので。

飯島 なるほど、そこにもちゃんと繋がるわけですか!マーチャントクラブの勉強会でHAYAさんの登壇回に1度セブ行ってますよね?また行きましょうよ!行きたいです。

HAYA 1回行きましたね(笑)コロナが落ち着いたら、ちょいちょいみんなを海外に連れ出したいっていうのはありますね!

飯島 ぜひ!本日はありがとうございました!

クラブNO.005 早川渉プロフィール

マーチャントクラブ英語部の部長として講義をする早川渉さん
投資家/BtoBコンサルタント 早川渉


1983年3月1日生まれ埼玉県川越市出身。
日本と海外で会社を経営。

20歳で大原簿記専門学校を卒業し、その後22歳までフリーター生活を送るが、蒸発した父親の路上死をキッカケに「一度しかない人生このままでいいのか?」と自分に問い続け 「残りの人生でやりたいことを全部やろう」と決意。

その後メディアでも取り上げられる有名コンサルタントに弟子入り、試行錯誤の日々を送りながら実績をあげ、六本木にある 「4大卒以上・英語が出来ること・金融経験3年以上」の入社条件を全て無視して 外資系投資会社に当時最年少の社員として引き抜かれる。

更に実績が評価され国内系の上場投資会社に引き抜かれる その後にファンドマネージャーとなり、年間で3億以上の利益をあげる。

1年間の海外バカンスを経た後に26歳でコンサルタントとして独立後は、年間の3分の1を海外バカンスで過ごしながら複数の法人にコンサルティング業務を継続中。

インタビュアー / 飯島裕之

飯島裕之(kunkun)/ 企画構成作家


1985年東京都江戸川区生まれ。企画構成作家、HIPHOPクリエイター。

2016年の12月、菅智晃氏からの教材購入をきっかけにアフィリエイトに参入。開始1年で会社員としての月収を超え個人事業からの収入基盤を確立。

その後、総購入者数7千人を超える人気ビジネス教材の講師に就任、5万作の電子書籍の中から優秀賞を受賞するなど瞬く間に頭角を表す。これまでの指導実績は上場企業も含め7社・500人以上。

現在、数多くのイベント主催から培った企画力・Web販売から培った販促力を機軸に、売上に伸び悩む実業家やクリエイターの『Web制作』『サービス設計』『企画提案』などプロデュースに従事。裏方として黒衣に徹しながらも、ブレイクダンス/グラフィティアートなど、エンターテイメントの分野に長く生息してきた事からHIPHOPクリエイターとしての顔も持ち合わせ、アート創作の仕事もひっそりと受注を続けている。

早川渉さんがゲスト出演しているラジオ番組「飯島裕之のダメ素」

『ダメ素』は飯島裕之が配信している『失敗と挑戦のカタチを声に乗せてお届けする』ラジオ番組です。 時には飯島裕之1人で、時には様々な分野のプロをゲストとして招き、今挑戦している事例や失敗談とそこから得た学びをシェアしています。

飯島裕之のダメ素

ゲスト:早川渉

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  • 【4年越しに実現】超憧れのメンターにダメ元でお願いしたら本当に来てくれました

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ゲスト:早川渉

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早川渉さんのインタビュー前編はこちら